東京都文京区弥生 2

その後先生と約束したサンプルの採取は順調に進んだ。

主にカラスフグのヒレの採取で、下関唐戸魚市場に協力をお願いして背びれの一部を3ミリ程度カットしてもらい、漁獲日、漁獲場所、魚体重等のデーターを1尾ずつ記入し、真空包装して東大に送り続けた。何千尾送っただろうか。

その研究はバングラディシュの研究者で後に東大で博士号を取得したレザ・シャへドが担当していた。レザは敬虔なイスラム教徒で1日決められた時間の祈りを欠かさず、酒は飲まずタバコも吸わなかった。特に豚肉は御法度で、少しでも混入していると絶対に食べなかった。一緒に会食するとこれは何かと必ず聞き、豚はどうかと五月蝿いくらい聞いてきた。後には理解できたが、信仰とはすごい物だと感心した。

その時のフグを研究していた日本人の学生が古川聡、金子元の両君で後に博士号を取得し金子君は東大の先生に、古川君は民間の大手研究所の研究員になった。

一番の思い出は下関に両君がサンプル採取に来た時の事で、前の番は遅くまで打ち合わせをして一緒に食事をして、次の日は朝二時過ぎからのサンプル採取と言う強行軍で作業をした。その時の朝食に賄(まかない)いで急遽つくったのがフグ皮とポン酢を会わせてホカホカのご飯に載せて食べるぶっかけ丼だった。

それが今のマフグを使った「ふぐ刺しぶっかけ丼」となって名物になっている。

その当時のフグの魚病対策では「ホルマリン」を使用するのが当たり前で、国もこれについては黙認をしていた。フグの皮膚病やヘテロボツリュウム等の寄生吸血虫等の駆除もホルマリンの使用で駆逐し、薬浴させると直ぐにフグが健康を回復するので「魔法の水」と言って生産者は重宝がっていた。

しかしこれには重大な落とし穴があり、10m四方の生簀の上にブルーシートをかぶせてホルマリンをいれ、そして薬欲後に海上へと投機する。海洋汚染の始まりである。これに真珠の生産者団体が抗議をし、農水省と厚生労働省の議論へと発展して行った。厚労省は発がん性物質の垂れ流しは法律に違反していると言い、農水省はこれを黙認する態度をとっていたが、やがて全面禁止となりホルマリンの使用は社会問題と発展して行った。

しかし生産者は納得がいかず隠れて使用している者もいて、熊本テレビが鷹島の生産者の使用現場をスクープして大騒動になった。

当時、私達は渡部先生を団長にして中国での生産現場の調査を行った。農水省から技官が3人、唐戸魚市場社長、梅田水産社長、長崎大学名誉教授の多部田治先生、北大で教鞭を長くとられていた中里先生、そして私と中国の大連から出発をして渤海湾をぐるりと回る調査を行った。8カ所の生産現場を視察したが、ホルマリンや抗生物質の使用等は確認できなかった。しかし中国からの輸入トラフグからは合成抗菌剤のマラカイトグリーンや抗生物質の残留が厚生省の食物監視課のサンプリングで多く摘発されている。

やがて日本ではホルマリンの代替えにマリンサワーと言うオキシドールの製品が開発され、寄生虫の駆除にはマリンバンテルと言う犬のフェラリアの予防薬で使用されるフェバルテンを主原料にした薬が開発され功を奏している。

続く

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