ジャスミン茶の香り

ジャスミン茶の香りについて

私と特に親しかった中国人 楊黎明 (ようれいめい)(ヤン リーミン)との出会いから別れまでの20年間の思い出の話です。

今年の3月に黒竜江省から遼寧省への帰路、自動車事故で不慮の死を遂げました。

私自身の亡備録と、楊黎明と、楊黎明ご家族への鎮魂のために書いています。

あしからずご了承下さい。

ふとした外国人交流会から始まった出会いから20年、一言では済ます事の出来ない思いでばかりです。

ジャスミン茶の香り 9

やがて3月が訪れて楊さんと黄さんの帰国が決まった。私は1月に行われた「ふぐ処理士」の試験に合格していて免許状の交付を待つのみとなっていた。

帰国前になる頃になると彼らがは是非とも中国に来て欲しいと言う。楊さんも黄さんも「帰国したら大連で待つあるよ」「きっと大連で会うあるよ」と何度も何度も言ってくれた。

私は「日本でツバメが飛ぶ頃には必ず行くから」と約束して彼らと別れた。

4月2日に私のふぐ処理士の免許状が届いた。

2月には合格は判っていたので会社には退社の申し出をしておいた。随分と慰留され最後には工場長をして貰う予定だからと言われたので、それはいつですかと尋ねたら後10年後だと言う。この会社とは付き合いができないとつくづく思った。

しかし、免許はとって、やる気はあってもお金が全然なかった。収入の全ては3人いる子供の養育費と家の生計にあてられていて、母とも生活をしていたので貯蓄等は他人事だった。しかし、私の背中を目に見えない力がぐいぐいとおしている。独立の方向へと。

3月のある日友人と食事をしていたとき「独立するのか」と唐突に問われた。「そのつもりでやってきた」「資金は」「、、、、、、、、、」

私には答えがなかった。友人が明日も食事をしようと言う。承諾して別れた。

翌日、昨日と同じ場所でおちあい飲み始めると、唐突に紙袋を出された。

「なにこれ」「黙って使ってくれよ」

中をみると300万円入っていた。「どうしてこれを」驚いてきいたら昨日聞いたらそれだけ有れば独立できると言ったじゃないかと言う。確かに言った。がしかしだ。

いいから、期限無しの融資だぞ、でも返済は絶対にするのだぞと言われて借用がきまった。後日談だがこのお金は2年後に返済できた。

そのお金を借してくれた友人の窮地を数年前に救った事があった。それを律儀に覚えていてそのお返しだと言う、その様なつもりでしたのではなかったのに、、、

その日の夜は興奮して眠れなかった。

友情と言う熱い物に包まれて私は幸せだった。

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