ジャスミン茶の香り

ジャスミン茶の香り10

楊さん達が帰国したのが3月の20日過ぎで、私の退社が4月の末日だった。

4月20日に会社の登記をし、私は勤務している会社で課長、営業活動が始まっていない会社の社長と二足のワラジを履いた。たったの10日間だけど。

私が独立を志しているのは修行した「なかを」の社長も良く知っていて、会社を移らないかと誘われたけど独立したいからと断り続けた。じゃぁ仕方ないと言って彦島西山町の事務所と工場を無償で提供してくれた。何ヶ月間は無償だったが、それでは会計上まずいのでと言って双方合意のもと、とても安い借料で契約して頂いた。本当に有り難かった。

本格的に仕事を始めたのが5月20日だった。人生の中で後にも先にも20日間休んだのはこの時だけだ。

私はこの間を利用して中国へ渡った。ビザの申請を博多の領事館で行い、JALで大連へ渡った。

楊さんとの約束で私が中国滞在中は楊さんの財布で生活する。私は往復の飛行機賃だけで来いと言う。「私のお父さんは大連の副市長です。何でもできます」

アー又、出た出たと何時も思っていたが、現実に大連空港に降り立ったら驚いた。いわゆる検疫区つまり中国と言えども入国審査をパスして荷物をとりゲートをくぐったら中国国内だが、入っては行けない場所に楊さんがいるではないか。

そこは駄目だろうと言うと、「ここは大連、何でも出来るあるよ」うっそー、な感じで驚愕した。コンコルドよりも早いスピードで通関をし、送迎車発着口に行って又驚いた。この車に乗って下さいと言う。大型のベンツではないか。

なんじゃこの車はと言う私を尻目に「ここは大連、何でもできるあるよ」と言っている。いきなり原爆級の出迎えを受けた私はすっかりお客様になってしまい、この後遼寧省一帯を旅行し、北京に行き、大連で大歓迎されそれはそれは大切にしてもらった。

正直この時期の私は現地の中国料理に馴染めなかった。一週間の滞在中に出される食事は全て「旨い、美味しい」と言って食べたけど、其の当時は八角やパクチー等の香味野菜や調味料がやけに嫌で仕方が無かった。今から考えると非常に勿体ない感覚だった。

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