ジャスミン茶の香り

ジャスミン茶の香り11

1992年当時の大連空港はまだボロな建物で二階建てのモルタル造り程度の粗末な感じがした。しかし空港滑走路の側にある飛行機の格納庫には旧ソビエト製のミグ戦闘機が注機していた。格納庫にも何台かあったけれど何れもシートで覆われていて、どう見てもスクランブル体制でない事は良くわかった。

空港から市街地を通って楊さんの自宅に両親を訪問して歓迎をうけた。

あなたが日本の息子かと言う暖かい眼差しで歓迎をしてくれた。

宿泊は大連賓館と言う戦前の日本が建てた立派なホテルで、昔は大和ホテルと言っていたと言う。往事の豪華さは戦後40年が経過しても衰えず豪奢な建物は立派だった。ホテルの部屋は天井も高く部屋も二部屋有って、応接間と寝室だったのだが夜は不気味で怖かった思い出がある。

ホテルの前が中山広場でこれは「ちゅうざんひろば」と呼んでいた。そこから放射線状に道が分かれていてとても整った町並みだった。

他にも革命広場が有って、大きな壁面に兵士の戦う姿がモチーフで刻まれていた。共産党の建物と市議会の会議場等が豪華に建っていた。

町には人が溢れ、電線ケーブルで走るとローリーバスが沢山走っていた。時々パンタグラフから電線が外れて手こずっている様子が時々見受けられた。

楊さんの自宅は旧日本軍の高級将校の家で二階建ての洋館で自宅のトイレは水洗便所だった。こじゃれた庭もあり当時の豪華さをそのまま中国が接収したことが良くわかった。

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